西 正夫君 6度目の命日

午後の仕事に就いて姿が見えなくなった西君を探していた正志が見つけたのは川底だったらしい。土手にひきあげたら水を吐き出したらしい。家内が119番に通報。そのあと防府市内を走っていた私に連絡をくれた。


48歳で旅立った西君。6年目の命日。花を供えて思い出を甦らせた。年に何度か農園の夕食に招いた。来るときはお母さんの運転。帰りは家内の運転。帰りの挨拶は「ごっつそうさん!」


持病があり日頃は酒は飲まないが、農園では缶ビール2本を限度に飲ませた。陽気になり笑わせた。坂本冬美が好きで、歌える歌は「アメリカ橋」。ぼつぼつ自宅をつくりたい、藤野先生ぐらいの家でええから。

月に1度の検診が楽しみだった。バスを乗り継いで宇部市の大学病院。日頃はあまり話しかけてもらえないが看護婦が親切で喜んでいる。病院で散髪や食事(カツ丼)を済ませてホームセンターに立ち寄り小物を買って散財。


仕事は鶏の餌やり。それとスコップ仕事。農園に来る前は左官で鍛えられていたからスコップを使わせたら天下一品の腕前。適当な仕事はしないがピントの合わない仕事もよくあり、注意したらご機嫌が悪くなる。


なぜか痛風になったときは、苦痛で顔を歪めて歩いていた。


ご葬儀には、農園で知り合った私の友人もたくさん参列してくださった。


小郡で散髪。山口市で給油。防府市でオイル交換。

農園に通じる道が傷んでいたので砂利を約4トンぐらいを小型ユンボと軽四ダンプとスコップで補修した。