下関市吉田のSさん投稿。きょうは「文(ふみ)」きのうの「銀」とは兄妹と添え書きがあったので、姓名判断すると「文」は妹になる。スコティッシュという品種を知った。ありがとうございました。
私は中学生のとき、ボーイスカウトのように野外活動をしている青少年活動に参加した。冠は金光教。手旗やロープワークを楽しみながら宗教に親しんだ。約30年ちかく教会に信徒として在籍した。
本部の岡山県金光町に文書布教の拠点をめざして「金光出版」を創業して、全国各地の教会出版物を精力的に手がけた。けれども20年ちかく前に「教会」から離れた。理由は長くなるから割愛。
私が悩んだ教会という組織のなかで信心をする難しさ。それと教会長という生身の人間からは伝わらない信仰。その私と同じような壁に向き合っておられた方がおられた。
身内に健康のことで問題がおきて夫妻で悩んでおられたらしい。
先日、思いきって岡山県の本部(ご霊地)に車で参拝。深夜に着いたので車中泊。金光教は教主に直接、誰でもお願い、お詫びやお礼が申し上げることができる。
夫妻は、抱えていた悩みを話したら「これまでのことを、お礼申し上げましょう」と教主から言葉をいただいた。目の前の問題ばかりに目をうばわれて、それまで幸せに過ごしていたお礼はしていなかった。
きょう、その出来事を話されたご主人の目が潤んでいた。
山口市で大きく事業展開されているH社長も金光教。たまに自宅に私を招いてくださり信心話をされる。
私の信心は、教会長の言動に反発(嫌になり)しているけれども、教会長を信仰しているのではないから、そのハードルを越えて神様とつながる道を求めましょう。といつも語られる。
下関市の帰り道。母が生きたこと・私が育ててもらったことのお礼(感謝)をさておいて、目の前の課題に「お願いします」とかしわ手を毎朝打っても道は開かれないように思った。