農園自慢の彼岸花

三砂ちづる先生を講師にお迎えした昨夜の数楽の会。90分で話された内容は、私は大きくふたつあったと思う。

ひとつは、人間、とくに女性を哺乳類としての分娩と授乳について。

ひとつは、ご主人を自宅での看とられた体験談。

分娩も看とりも、江戸川・明治の頃と現在との対比を具体的にされながら展開した。


7年、病院と施設をめぐり2年前に国替した母のことを昨夜から考えている。何年間も「自宅に戻りたい」と私や家内に懇願した。自宅は設計のとき母の老いを考慮して段差は少なく、浴槽も楽に入られるようにして、母の部屋にはトイレと台所もつくった。

スタートは病だったから、医師の指事にしたがい入院。その入院中にボケたような状態におちいった。一人息子の私に「あんたは誰かね」と言う。30時間ぐらい昏睡したとき、その説明を求めたら「薬が効きすぎた」と回答を受けた。ケアマネージャーに転院を頼んだ。移った病院で、投薬がかわり私と笑顔で会話ができるようになった。薬害だったのかもわからない。

自宅は、長男家族5人と家内が生活している。当時は要介護度3の母が自宅に加わると、母の介護の見通しが立たない。3は自宅介護が求められ施設から退去の要請を受けた。サービス付き高齢者住宅に引き受けてもらった。月々の支払いは約20万円。数年お世話になっているときベッドから落ちて歩行困難になり、要介護が最高値の5になった。

即座に特別養護老人ホームにすべりこみ、月々の支払いは半額以下になった。回復で喜ぶか、悪化で家計が助かるかが我が家の実態だった。

「戻りたい」母には申し訳ないが、入院のおかげで仕事や家庭の経済も問題はなかった。つまり、昼間の我が家は誰も居ない。そこでは自宅の看とりはできない。明治と現在の生活様式の変化が横たわっている。

せめての親孝行は、母のもとに通った回数が母に言わせた「しあわせじゃ」を真に受けている。


午前の配達を済ませて午後から草刈り。農園のあちこちに咲く誇る彼岸花のひとつを撮った。