お彼岸の入り

お彼岸の入り水曜日。下関市で撮った。


きのう夕方、ある会社の社長が来園。わたしのブログを見てくださっているようでその話題などもした。会社のパトンは息子さんではない。後継者(次期社長)をどう育てるかが懸案のようだった。


農園の代表者は早い時期に正志に登記した。その自覚が育てばよいと思うが、道のりはまだ長い。起業や戦争、結婚はスタートのエネルギーは出るが、世代交代、終戦に離婚というと困難な道を歩むことになる。


私が会社を去るとき、今から思えば無責任な部分がたくさんあった。後任の社長は30代。経営を心配した周囲の人は多かったと思うが、私は牽引力(将来への夢)が描ける人物と思っていた。私自身、経営分析はよくわからない、とにかく税理士事務職に足を運び、試算表や決算分析を聞かせてもらい次の一手を考えた。

お客さまに足を運ぶことを私の第一の仕事にしていた。そのなかで、当時は画期的な「会議録検索システム」を商品化した。例えば、議員が議会事務局職員に「市長が2年前から、通学バスについて答弁した一覧を作成してくれ」と言うと。職員は2年前からの会議録を読んで市長答弁の「通学バス」を探すことになる。これこそ商品化すれば喜んで貰えると確信した。富士通の上田部長に相談に行きワープロ機能をパソコン的に使う「オアシスメイト」ソフトを手に入れて商品化できた。

つまり、私の体験から思う社長像は、会社の牽引と社員のまとめではなかろうかと、彼を見送ったあと、きょうも考えた。


⬛ある男と私の物語 7


その頃、私は床波漁港に釣り船を係留していた。真夏、宇部空港沖にキスゴを釣りに彼と出た。彼は前夜、夜の街で遅くまで活躍したらしく体調不良。釣りはじめてすぐに横になった。私はたくさん釣り上げで戻った。港に着いて起き上がった彼の顔は半分しっかり日焼けしていた。