三日連続の下関市

椎葉をこよなく愛した親友の散骨に岡本・松原・村上さん達は二泊三日で椎葉に赴き目的を果たして帰路についている。椎葉の愉しさのひとつは、民宿のあるじの人柄にもあるらしい。FBに投稿された写真からもそれがわかる。


市町村議会会議録の調製をしていた当時、宮崎県下32市町村の全部と契約をいただいた。なかでも秘境 椎葉村は思い出がたくさんある。議員と執行部席の半分ちかくの名字が「椎葉」議長が「椎葉くん」と指名しても、どの椎葉さんかわからない。興呂木「こおろぎ」さんもおられた。

当時「村おこし塾」が村予算で催され、塾長は村の青年が推され、塾生に村長や議長などお歴々が名を連ねた。

日向市から2時間の辺境、それこそが守るべき椎葉の文化。不便ウェルカム道路整備されたら、日向市から人吉市までの通過村になり、村民は働きに出て村が衰退する。この塾の録音を文章化する仕事も手がけた。

常宿は、村役場そばの日隈屋?だった。はじめて泊まったとき「今夜はステーキですよ!」とおばちゃんの笑顔。お膳にはナスビステーキが鎮座していた。

わたしも、もう一度行きたい椎葉村。


下関市の往復は水曜から3日連続。魚屋さんがお得意様のたまごをお世話くださり、木曜日に150個お届けしている。魚市場が休みだから魚屋も休業。けれども、農園とお客さまの都合を考慮して、金曜日の1時間店を開ける便宜をはかって下さった。

8時半、大将にお礼を申し上げ納品。


今朝も5時から1時間、草刈りに汗をかいた。