椎茸の思い出

美祢のお客さまから椎茸をいただいた。生でも干してもよいが、わが家は冷凍。ある料理人が使う大きさにして冷凍すればよい。味も香りもよくなると教えていただいた。


農園をはじめたころ、地域の年配が原木山(くぬぎ)をひと山買うが、仲間になり原木椎茸を栽培しないかと誘われた。原木代金2万円を払い、チェンソーを買い山に行った。斜面できつい作業を3日やり、1メートル20センチに切り揃えた原木を「すきなだけ持って帰れ」と親切に言われた。ほどよい丸太を斜面から転がしたら「原木に傷がつき雑菌が入るから担いで運べ!」と言われた。生の原木は重い、それを担いで斜面を降りる体力はなかった。担げる小さい原木を荷台に山積みにした。


数日後、斜面の原木は全部運び出されていた。あの爺さんがどうやって運んだのか。あとで知ったのは斜面にトタン板を敷いて滑り落とす方法だった。つまり、わたしはカモにされた。


農園そばの山にもくぬぎがあり、所有者の許しをいただいて切り倒し椎茸栽培は身に付いた。山桜を倒してなめこも収穫していた。その相棒は西君(亡くなり6年)彼の強靭な腰と肩が頼りだった。相棒をうしない山に入る気にならない。


ヒモの効果を提唱する怪しい藤野先生。ヒモを巻くだけで体が変わる。数ヵ月前から肩と腰に巻いている。さくじつ床に落ちた物を拾い上げるとき、床に両手のひらがペタリとついた。けさ岡本家の玄関で両手を床について実演したら、お母さんが「私にヒモを買うておくれ」と拓也さんに手をあわせた。関心ある方はバイブルを貸し出します。