活眼 活学 をいただいた

ブライダルのハラダヤに家内が昼前に配達に行ったとき、原田社長から私に包みを預かって帰った。開封したら安岡正篤「活眼 活学」だった。推薦のメッセージには、本文中の「天地はわが父母」は金光教の心に通じるように思います。しっかり読ませていただく。


彦島福浦はお昼前、大粒の雨のなかパトカーが止まり二人の警察官が白い雨具で検問。ご苦労さまの気持ちで警棒に従い止めた。ガラスを開けると雨が車内に降り込むから少し上げて免許証を差し出した。その行為が飲酒運転のサインだったのかもわからないが、雨が入ると拒む私に命令口調になり呼気まで調べられた。お互いに不愉快な場面になった。


新倉敷駅前の焼き鳥「鳥田金」の趙さんと電話がつながった。17日の朝、お店に行くから話そうと言うと「泊まればええんじゃ」と嬉しいお誘い。とにかく1時間のアポイントメントをとった。

終戦の8月、趙さんの母は倉敷水島の同胞を頼り単身大阪から汽車に乗った。切符は岡山駅までしか買えないから、岡山駅から約50キロ、水島まで炎天下を歩いた。そのあと趙さんは生まれた。オモニが他界してつい体験で趙さんは岡山駅から水島まで8月に歩いた。泣けてしかたがなかった。その話をカウンターで聞いた私も泣けた。

農園をはじめたとき、朝鮮の布団一式をお祝いに自家用車で奥さまと持参してくれた。再会がとても楽しみ。