自らの言葉で伝えよ

NHK「ドキュメント72」で、宮崎市内の路上ピアノを3日定点取材の番組があった。橘通り3丁目、このピアノの場所に牧さんの生家「陶器店」があったと彼が撮ったピアノがとどいた。


伝える・伝わるが頭から離れない。

ある金光教の教師が亡くなり、1年後に偲び草として出版のお手伝いをしたことがある。遺品を整理していたらメモ帳が出てきた。そのなかに「まだ自分の言葉で信心を語っておらん!」と殴り書きを見つけた。

信仰を伝える立場から、つねに、いわゆる教師語録や教典を引用しなければ話せない自分に対してのいら立ちのように感じた。


虎の威を ではないが、わたしが掃除を人に語るとき、その精神を「鍵山先生が言われたのは」ではじめると、これは伝わり難い。要は、わたしが実践したなかでの言葉こそが「伝わる」になりはしないか。


ある金光教の教師は、信心を実践したなかからあみだした「よいほうに とりませんか」これ一本で布教されていた。