寂しいできごと

農園側の川がそそぐ小野湖。朝8時、ワカサギ釣りを見に行った。地元の釣り人が「ここで釣るより、その先の養鶏場(農園)の横で3月10日頃に産卵にあがるワカサギを網ですくったほうが簡単」と教えてくれた。


宇部市内に向かう190号線。中央病院の近く道路沿いの住宅が先週から壊されていた。今朝は面影を、事情を話して撮らせてもらおうと行った。


わたしが5歳ぐらいまでを過ごしたのは、琴芝駅近くの一角。布団の打ち直し・洗い張り・大工・植木屋とさまざま生計をたてる人が肩を寄せ会う貸家の一軒だった。宇部に身寄りのない母が頼ったのはとなりの大工Nさん。子供はなく奥さんは高知の出でサンゴの飾りが自慢。長い煙管で刻み煙草を楽しみ、それ用の火鉢があった。文字は読めなかった。


なぜか「ばあちゃん」「じいちゃん」と呼んで慕った。わが子のように大切にしてもらった。当時はサナトリウムだった病院近くに大工の腕前で自宅を建てた。小学生の頃は親戚がないので「ばあちゃん」の家によく泊まりに母と通った。


中学1年のとき、母が半年入院することになり、学校までバスを乗り継ぐ「ばあちゃん」にあずけられた。たくさんの思い出がある。お二人の葬儀にも参列した「じいちゃん」が自慢の家は今朝さら地になっていた。


通るとき、いつも見ていた家が姿を消した。思い出は消えていないが寂しくなった。