映画 沈黙の余韻

萩市浜崎の街並みが好きで、何度かホーム画面に載せた。昨年から、浜崎の泉福寺にたまごをお届けするご縁に恵まれ、浜崎に毎土曜日通えることになった。いつか、道幅が狭いので時間をつくり歩いてみたい。


約260年まえ、あらゆる拷問、迫害でキリスト教徒を弾圧した。その弾圧が強いほど信心は強硬になった。長崎に外国人のために大浦天主堂が建築され、祝いのミサから3ヵ月あと、マリア様を拝みたいと数人の日本人があらわれた。バチカンは、日本の布教は絶えたと考えていた。信徒発見、奇跡のニュースは世界を驚かせた。


一般に、老・病・死に向き合う宗教と思われている。社会制度が整った世の中になり身近な宗教になりにくい。そう言う人もある。わたしは違うと思う。200数十年も潜伏して信仰を守り伝えた人々、その原点(祖先)は宣教師からなにをうけとったのか。この点、作品からは見えなかったように感じる。そこが知りたかった。


わたしが思う信仰は、例えば参拝する前より、参拝をおえて戻るとき、心が元気になっている実感ではないかと思っている。


作品のエンドロール(英語)はながかった。