沖縄に思うこと

特別養護老人ホーム 幸嶺園(美祢市) 利用者の方々の作品が廊下を華やかにしていた。園長のご縁で何度か園の催しに誘われ、その度に酔っぱらいになりお声かけがない。真面目な酒になりましたからお誘いくださいませ。


ベトナム戦争当時の沖縄は、最前線基地としての役割を担った。B52爆撃機が反抗勢力を掃討する目的(ジャングルを裸にする・水や食糧を枯渇する)で大量に散布した枯葉剤。いまだにその影響は続いて様々な障害をもった新生児がうまれる。

その劇薬が残った大量のドラム缶が沖縄の工場現場などから出ている。その報道番組をみた。


地政学的に沖縄にアメリカ軍が駐屯する理由はさまざま聞いて理解はできる。その上で沖縄県民の立場を思うとき、ドラム缶や婦女子暴行事件など本土ではありえないことがある。嘉手納基地の近くに行ったことがある。耳が壊れそうな激しい音のなかで住民は暮らしている。

 復帰後からしばらく戦没者のご遺骨収集奉仕に通った。当時はGPSがなく、大量にある不発弾を目印になる場所に集め、赤のビニールテープを周囲に張り、自衛隊処理班に地図上で示した。300年処理しても終わらないと聞いた。


金城さち子 と彫られたセルロイドの三角定規と子供のご遺骨と対面したのは糸満市摩文仁の山野。


平和唱える沖縄県人の声に耳を傾けてみよう。