長生炭坑 殉難者之碑お参り

今月2日、ぎじろくセンター(株)白井社長を、長生炭坑殉難者之碑に案内をした。当時を知る地元有志が昭和57年に、当時の食堂跡地に建立された。

わたしは、石碑近くの炭住に住まわれていた老夫婦(元電気工)と家族のようなご縁がうまれ、石碑にはいつも手をあわせていた。


殉難者の月命日、3日は生花が供えられていた。その理由をじいちゃんが教えてくれた。あの日の早朝、海底炭坑で漏水が始まった。その現場に連絡用の電話を設置して坑口から出た。間もなく水没の知らせがあった。坑口近くの男たちが走って逃げてくる坑内に入ろうとする男がいた。Eさん(当時30歳ぐらい)じいちゃんが「あんた、入ったら死ぬで!」と止めたら「僕は責任上入らんといけんのです」と。Eさんは保安係で、坑道・坑内の安全を任された立場だった。献花は奥さまが慰霊碑が建てられて続いていた。


関係者が少なくなり、殉難之碑は草むらに埋まった。白井社長を案内人したときも迷った。彼が23日に「掃除をしました」と写真を添えたメールをくれた。


嬉しくて、はやくお参りしたいと思い、それが今朝になった。