数楽のお裾分け

ばんだいさん の手による、加奈ちゃんお祝い花束(ドライフラワー)日記で残しておく。


きのう数楽での釈先生。まだ心に残る講話ご紹介。

年老いた義母の介護を献身的にする嫁。母の唇からこぼれた食べ物を自分が食べても平気だった。認知症がはじまったある日、母が嫁に「あんたは誰?」嫁は力を失い茫然となった。その失意をある僧に打ち明けた。

僧は「あんたは誰?」と問われる度に名前を告げて「きょうからお世話させてもらいます」とやったらよい。


「あんたは誰?」の毎日が繰り返された。あるとき母がつぶやいた「あんたは本当にようやってくれる。けれども、もっとようやってくれた者がいる」どなたですか「うちの嫁じゃ」お嫁さんはどうされていますか「嫁は死んだ」


私の母も晩年は、私にさんざん悪態を吐き、家内の名前を呼び捨てたり、病気が言わせていると思っても腹が立った。家族もずいぶん死んだことになった。けれども最後は穏やかになった。


インドで幼い子供の遺体を抱いて、生き返らせてくれと寺院を巡る母がいた。無理だと断られるなかで「わかった」と請け合う僧がいた「ケシの実をもらって来なさい、ただし家族で誰も死んだ人がいない家のケシの実が要る」遺体を抱いて街中の家々を歩き、母は人は必ず死ぬことがわかった。