画廊談義

画廊、開催の看板。見事な書は松月院ご住職。


常盤公園遊歩道を歩いた。防寒着で膝掛けのおばあさんを乗せた車椅子を押すわたしぐらい年配の男性とすれ違った。なぜ母にあれが出来なかったかと悔やまれた。


画廊あるじは毎朝お参りされる。参拝はしても信徒としての活動には参加されない。その理由は、お母さんが熱心に参拝されていたので、そこに座るとお母さんが側に寄り添ってくれる心持ちになれる。あるじは窮地になると「母ちゃん」と唱える。神仏ではない。


山頭火の話題になった。四国で息をひきとったとき、ぼろ風呂敷のなかにあったのはお母さんの位牌ひとつ。こじき坊主と見下げられ、やっと托鉢できたうどん数本を位牌に供えてから口にした。


わたしは、母が国替えをするまで会いに行く母だったが、最近はいつも側にいるような実感がしている。


山頭火ならこの本が良いと思う「遍歴放浪の世界  紀野一義著」を貸してくださった。