長生( ちょうせい ) 炭坑

宇部市西岐波は自宅があり、わたしの故郷である。

午前中、西岐波を通ったので長生海岸に立ち寄った。穏やかな周防灘にコンクリート構造物が今も残る。海底には良質の石炭鉱脈があり、大正時代から長生炭坑鉱業所が採炭をしていた。海底の坑道に空気を吸入・排気の塔が海上にあり、炭坑用語でピーヤと言う。


昭和17年2月3日、午前6時前に坑道真ん中付近から海水が入り水没した。犠牲者183名のうち朝鮮人労働者が約130名。

この事故に関心をもったのは、郷土史家 山口さんが強制連行された朝鮮人だったと発表したから。


わたしが調べはじめたとき、海岸側に当時の炭坑住宅があり、水没当時は電気工として働いていたHさん夫妻だけが住まわれていた。通いつめて炭坑の見取り図をつくった。坑内から生還した5人のなかの1人、募集の貼り紙を見て朝鮮から渡航した、当時15歳のAさんを福岡県筑豊で探しあて、Aさんを息子のように可愛がったHさんを車に乗せて筑豊で再会を果たした。


Hさんは休みには住吉座に芝居をみたり、羽衣屋で菓子を買うのが楽しみだった。何度もAさんのお宅に足を運び炭坑の話を聞いた。

強制連行された朝鮮人はいましたか。Aさんは、西岐波小学校の在籍名簿を調べなさい。朝鮮人の子供がたくさん就学していました。以前から炭坑で働いていた家族です。子供は日本語でしたよ。


郷土史家に強制連行かどうかを問いただしに行った。返事に困り 広い意味での強制連行といえる。


強制連行制度を郷土史家は知らなかった。