半日の旅

牧さんメール通信。リトアニアを朝5時に発ち15時にアウシュビッツ。入場券は3時間30分待ち。写真の門は収容者たちがつくらされた。その文字は 働けば自由が与えられる。偽りの文言作成に抵抗して左から2文字目の B を意図的に変形させていると説明が彼から添えられていた。これから1200キロ先のハーグをめざす。


昨夜泊まった正志の長女( 中学生 ) が角島に行きたいと言う。お盆で観光客の人出でが多い予想をして、朝6時に出発、8時前に角島大橋に着いた。その時間でも県外ナンバーの車がたくさん到着して賑わいはじめた。

青海島観光遊覧船に電話で尋ねたら9時半の出港に間に合いそう。少し急いで仙崎港セーフ。家内と二人乗船させて、わたしは引き揚げ船が着いた場所を目指した。


詳細は後日にゆずるとして、舞鶴、博多に仙崎の港が終戦後に大陸から引き揚げる人を受け入れた。興安丸で仙崎に帰国した日本人41万人。朝鮮に帰国した人34万人。戦後の1年間、仙崎港は戦後の混乱の縮図を呈していたと想像できる。その港の現場に立ち寄れた。


昼ごはん、どこも満員。特に納涼が売りの於福 そーめん流しは駐車場の空き待ちで長い車列で退散。幸い焼き肉定食の店に入れた。


お盆の生花を買い 西君の墓参り。太陽の照りで熱い墓石に、農園井戸水をたっぷりかけた。


午後1時に農園着。半日の旅を終えた。