シメサバ地獄

来月でタブレットを使いはじめて2年。当初、ネットで閲覧できるアダルトサイトにわたしの心は文明開化。ところが、あるサイト「無修正ではない」がブラウザのタグから消えなくなった。従って、ブラウザを起動したらはじめにその画面が表示される。他人が使うことはないから約2年放置した。

ところが1ヶ月前、使い方の疑問を解決するためにドコモ店を訪れた。順番で可愛い店員さんに招かれた。彼女が操作をするうちに禁断のブラウザをタップした「きゃ!」の声で店内が凍りついた。昨日、重枝さんに問題解決していただいた。


きのう刺身用のサバがあったらしく、家内が一匹買い求めて農園でおろしてシメサバにした。少し身がやわらかいと思いながら、わたしの好物だから家内は箸をつけずわたしがいただいた。眠りにつきはじめた9時ごろから全身に発疹が出た。とにかく痒い。病院に行き注射1本で治ると思いながら、家内を起こして市内まで運転させる気にもなれず痒みにたえた。2時ごろおう吐をもよおし便器に頭をたれた。

ほとんど寝ていないまま月曜日がはじまった。


美祢市の小杉は月曜日。楢崎頼三屋敷跡 の看板がある。会津攻めの戊辰戦争に赴いた楢崎が、白虎隊ただ一人の少年、飯沼貞吉の傷を手当して小杉に連れ帰った。会津におれば死にぞこないの汚名。宿敵の長州で生きることも恥。何度も自害を試みた「馬鹿もの!生きておると思うな!生かされたんじゃお前は」以後、貞吉は勉学に励んだ。


末裔は現在東京で事業家。東北震災で大学の学費に困った福島県の学生一律に15万円無償援助された。

明日から、会津と長州の写真をホームにアップする。