ムカデ戦争

農園入口の石碑 念ずれば 花ひらく は世界で542番碑で登録されている。その石碑を1番から訪ね歩き、石碑が建立された経緯を、建立した人から聞き取り映像と共に記録に遺す作業をされている年輩のご夫婦が愛媛県松山市から自家用車で来園された。道案内は糸賀社長。

坂村真民先生は、世界中に1000の 念ずれば花ひらく を建立される夢を抱いておられたが、732番(沖縄)で世を去られた。農園の石碑には特徴がある。書を書かれたご年齢が記されている「鳩寿一  真民(鳩は9 寿は10 つまり91歳)」とある。記録の完成は年内と言われた。明日、ご夫妻と書の写真を掲載します。


今年はすでに4匹の大型ムカデを部屋で殺した。地域の男性は軍手の中にムカデがおり激痛で刺された。病院に車で行き治療中に毒がまわり目が見えなくなり、救急搬送で大学病院に行き専門治療を受けた。

山のなかとはいえ、二階の部屋に毎年出てくるムカデの入口を毎日推理していた。

一番出没するところは、トイレつきユニットバス。プラスチックの部屋になぜ出るか。外界とは排水口と1ヶ所サッシのまど。サッシがあやしいと思い、建物の外からサッシを眺めた。建築時に防腐剤処理した電柱をたくさん手に入れて柱に使った。その柱がサッシのまじかにある。けれども網戸(上下2枚)はきっちり締まりすき間はない。

ところが、2枚のサッシが重なる部分はわたしの指に力を入れたら指が入るぐらいユルユルだった。

今夜から、網戸をやめてガラスサッシを締める。