やれば まだ出来る

美祢市の ばんだいさんを訪ねた。先日この画面でご紹介した大判絵手紙が好評だったから、もう何枚か撮り足した。カゴに銀杏が輝いていた。


同じく美祢市の黄  正吉さんお宅を訪問した。李朝家具・青磁など韓国文化がたくさんある。お願いして撮らせていただいた。


ばんだいさん、黄さんの特集は掲載10日前にお知らせします。明日から松村御大の油絵をご紹介します。


昼ご飯は美祢うどん よしの。ゴボウ天にオニギリひとつ。うどんがゆであがる6分待ちを店員さんから告げられた。久しぶりにゴボウの香りと美肌麺にうまいダシを味わった。


ホームページをご覧の方から、あの写真をプリントしてくださいとリクエストをいただいた。わたしにはプリンターがない。キタムラやコンビニでプリントする技量もない。断るのは簡単だが、これを機会に覚えようと決めた。午後から家電店でマイクロSDカードを買い、ドコモ店で基本的な操作を習い、コーヒー飲みながら目的を達成する練習を繰り返した。コンビニに立ち寄りマイクロSDからプリントまでの流れを習った。わたにはハードルの高い課題の到達点が見えた。


温泉に立ち寄り農園に戻った。

人から学ぶ毎日

来月開催 潘 麗星 展の作品。絵や書はまったくわからないが、知ったふりをせず「どう楽しめばよいでしょう」と人にたずねる。絵は菊川さん。書は今村さん。幅広く吉野さんや黄さん。タブレットは重枝さん。数楽の藤野先生。酒は松原・井上さんと教えを乞える人に恵まれている。


下関掃除に学ぶ会メンバーで製造業の人がいる。松村御大が販売ルートなど、お世話をされていることを知った。わたしも御大からたくさん販売のご縁を繋いでいただいている。微力でもわたしもお手伝いを申し出た。

まだ、なにも彼の力になれてはいないが、なんどかお会いしてメールを交わすなかで、彼が懸命に仕事に打ち込む姿勢にわたしが教えられている。


いまのわたしは決まった毎日を過ごし、農園の未来は正志が舵をとる時期だと悠長にしていたが、彼のお手伝いを決めてからスケジュール帳が活躍するようになった。懸案の農園隣接、耕作放棄地の地主との交渉。玉子の加工試作と販売方法。忙しくなった。


人から学ぶことが少し理解できている。

菊川画廊を訪問

阿知須の大型商業施設の周囲は雨天でも歩くことができる。40分歩いて菊川画廊を訪れた。

体調が思わしくない時期があり、20キロちかく痩せられた。それでも10数年、1日も欠かさず常盤公園6キロメートルを日の出前に歩いている。

来月1日からはじまる 潘 麗星 展覧会の準備中。手をとめてコーヒー豆を取り出したのを制して、それより話そうやと腰しをおろした。潘さんは日日飯店経営の傍ら絵描きと古物商の顔をもっていた。ガソリンスタンド店員の青年に絵画の手ほどきをした。青年は文化の発信を志し画廊をはじめることになった(いま40数年の営み)


つまり潘さんが菊川画廊の原点になる。13年前の10月1日に潘さんは生涯を終えた。以後、画廊に潘さんを祀り、毎朝お線香とお茶を供える(写真)

生前、たくさんの作品を買わせていただいた。それを、毎年10月1日に展示している。

菊川画廊は松田正平先生とのご縁が深いと思っていたが、松田先生は潘さんが紹介してくださり「私より松田さんについて行け」と言われた。


29日と30日のホーム画面に潘さん作品を先行紹介します。お時間ありましたら10日まで開催の菊川画廊にお運びください。




季節が逆戻りか

火曜日は山口市内。卓球 石川佳純選手の母校、平川中学校にはお祝い横断幕がある。


長期間の道路工事現場で交通整理のオバチャンは日焼け最高レベル。通行止め区間までにわたしの目的地(配達先)があることを覚えた。今朝も白い歯を見せてGOサイン。今朝頂いた外郎の小箱が助手席にあったので「差し入れ!」と窓越しに渡した。オバチャン喜んだ。


週末に各地から旧友が山口に集う奥さまから、山口県案内の相談を受けた。宇部空港が起点の女子旅。世界遺産の萩市観光と食べ処プランを考えてメールにした。堀内散策をご提案。


10月1日~10日。菊川画廊で 潘 麗星 展覧会が開催される。潘さんは存じ上げないが老舗中華料理 日日飯店オーナーではないかと思う。独特の画風。お時間ありましたらぜひ菊川画廊にお運びください。


きのうに続き暑い!この暑さの高気圧が台風をブロックしているから背に腹の暑さ。


ご案内3件

昨年11月、下関市動物愛護センターで生まれた。縁あって美祢市の愛犬家の家族になり「そらちゃん」を襲名。何故かわたしを大歓迎してくれる。


10月21日から23日まで 自然派木工房 木洩木 で「秋の手づくり作品展 2016」が催される。

数楽の藤野先生にはお二人子供さんがある。先生が工房を訪ねて二人の学習机を注文されたと記憶している。農園タマゴ繋がり。フェイスブック「木洩木」で数々の個性的作品、もちろん販売される。ご覧ください。作品展の詳細もアップされています。今村陶芸も販売されます。なにより、オーナー笑顔が看板!

近々、このホーム画面でも特集します。


11月13日。カルタクィーンが仕掛人「和歌うたin瑞松庵」じゅんとネネの早苗ねね さんが和歌を歌うコンサート。13時30分開場。問合せ 瑞松庵 0836670163 宇部市船木


11月13日。数楽の会 講師 如来寺住職 釈 徹宗師。14時から16時30分。参加費2000円。問合せは足立まで。


とにかくむし暑い月曜日を元気に終えた。

夜中トンボの怪

下関市済生会病院ちかくのローソン隣の空き地に、ヤギが数頭放され家族連れも来てミニ観光地。


夜中、台所の小さい蛍光灯をつけている。昨夜の深夜、羽音をたてて飛ぶモノが出てきた。顔の前を通過するとき風圧を感じるほど。正体だけはわからないと眠れない。薄明かりの天井を見ていたら、それはトンボだった。


ナチス時代考のT4作戦が昨夜Eテレ放映された。

相模原障害者施設の悲劇は、まだ解明されないが容疑者は、障害者は国や家族の負担だから殺したほうがよい。この理屈は、600万人の殺戮といわれるホロコーストの数年前、精神病や障害者、パーキンソン病などの人びとを健康な人が形成する社会こそが国民と家族の負担を減らすの号令のもと、20万人以上の生産にたずさわることができない人びとをガス室で殺した、ホロコーストのリハーサルの理屈と同じ。その影響を受けているかもわからない。


生産に従事できない人を排除することが是となるならば、病人や老人まで安楽死計画の対象になる。


午前は防府トヨタにオイルとブレーキバッド交換。午後から草刈と掃除でしっかり汗をかいた。

大笑い!

西くん霊神様に参拝時の吉部八幡宮祖霊殿。新米がお賽銭箱に供えられていた。つねづね、寄進とか寄付とか長者番付のように額の多い者から列挙されることに、信仰として疑問があった。名前を入れず新米を供え感謝のかしわ手をご先祖にされたであろう方に清々しさを覚えた。


ラジオで笑った。新入女子社員がお局さまに取り入ろうと発した誉め言葉は「先輩!いつも、とっても若づくりですね!」語意を知らない失敗。


会社で年に一度、お得意先に湯田温泉にお集まりいただき、研修会と称した半分は宴会を恒例にしていた。締め切りを過ぎたある日「まだ参加できますか。忘れていました」とお客さまから電話。受けた営業のT君が言いはなった「はい!枯れ木も山のにぎわいと申しますから、お待ち申し上げます」そばで私の心臓は凍りついた。


朝から電話応対が快調のT君。相手が会社名を確認したようす「そうでございます」相手がT君を指名したようす「はい!わたくしと申します」私は部屋から走り出て大笑いした。


午後から、部屋・トイレ・風呂掃除を丁寧にした。

二日連続の下関市

彦島大橋パーキングから、海と空が同じ色を撮った。


ある下関市内の会社社長。なかなか事業がうまく進展しないなかで一念発起。それを松村御大が後押しされていることを知った。お昼前に下関市役所ロビーでその社長と会った。わたしがどれほどお手伝いできるかわからないが協力することに決めた。


午後1時。長門國一宮 住吉神社宮司にご挨拶。わたしの仕事で果たしたい具体的な目的があり、松村御大に相談したら「住吉神社に挨拶したらよい」宮司と話してみると、宮司の母上が吉部八幡宮から住吉神社に嫁がれており、野村宮司・藤野先生・西くんなど姻戚はごくちかいことがわかった。とくに西くんが農園で働けたことをお礼申していただき恐縮。目的を話したら「よし、わかった」で決着した。


下関の帰り道、今村さんにお借りした本をお返しに行った。畑で汗を流され白菜の種蒔きをされていた。


松村御大のご縁のなかで金曜日を働いた。吉部八幡宮にお礼参拝をした。

祭日の下関

秋分の日。木曜は満載で走るが、会社や商店など休みがありいつもの半分積載でスタート。残り半分は明日のお届けになる。

愛車の走行距離が222222キロを示したから記念に撮った。来年1月で新車から4年になる。違反はあるが故障は一度もない。前の会社で日産ミストラル四駆(スペイン製造?)を買ったとき故障の連続でうんざりした。


菊川のおばあちゃんと彼岸花が話題になった。10年前に亡くなられたご主人は、関門海峡を眼下に眺める日の山の山頂が好きで夫婦で季節ごと通った思いでを話された。

あるとき、ロープウェイから見下ろす山肌の秋に「彼岸花が咲いたらきれいだろう」そう言って、自分の田のアゼの彼岸花球根をたくさん掘り、ロープウェイが通過する下に植えた。今年も咲いているだろうと。


◆お百姓さんは、田のアゼをモグラがミミズを求めて掘り、田の水がモグラの穴から抜けないように、モグラが嫌いな彼岸花をアゼに植えると聞いた。


明日も下関。午後から松村御大のご縁で住吉神社宮司に挨拶に行く。

湯田温泉で昼寝

神式で神様になった西君に墓前と事故現場にお彼岸の献花をした。


昨夜から「死では終らない物語について書こうと思う(釈 徹宗)を読みはじめた。第一章 日本人はこうやって死んできた。


お昼前に湯田温泉。時間を気にすることなくお湯を楽しみ、あふれるお湯のそばのタイルに転がり、オケを枕にひと眠りは最高のリラックス。


岡本拓也さんと村上棟梁が建築中のガッツ体操教室倉庫を見学して宇部市内。菊川画廊で岡潔談義は有意義だった。対談「人間の建設  岡潔×小林秀雄」が書棚に見えた。


松原酒店で買い物。店主は不在でちょっとさびしい。


今村夫妻のご縁で、宇部で老舗の和菓子店を訪問。農園玉子でカステラづくりの相談第一歩。


山口市内NTTで大量のアルミ缶獲得。


中身のある1日を過ごせた。万歩計1400歩。

台風一過

四国沖に台風が進路をとり、たまたま山口県におおきな被害はなかった「無事に通過してよかったね」が挨拶言葉になった1日を終えた。山口県立大学の1枚。


画家・諏訪 敦が祖母を描いた「満州難民を描く」の番組を先日の日記にした。補足しておきたいことがある。

昭和20年4月に満蒙開拓という国策で家族渡満。その時期ソ連の満州侵攻を軍部は想定しており、撤退計画が立案されていた。敦の父親は当時8歳、31歳の母と5歳の弟を餓死で失った。父親の遺稿に 責任者出てこい!というくだりがある。祖母が父親を産んだから敦の命がある。その父親が母を餓死で失った悲しみと怒りが「出てこい!」


戦争も原発も豊洲も、スタートしたらブレーキが効かない。そして責任がわからない。


養老孟司先生が、昆虫や動物が一番犠牲になるのは車だと話された(先生は昆虫マニア)。この時期わたしも衝突するトンボがかわいそうに思うがどうにもならない。きょうはトビが路肩で喘いでいる光景を見てしまった。タヌキが家族で死んでいたり胸が痛い。夜間に車のライトをめがけて死んでいる昆虫の数は自然のバランスを歪めている。草刈りでも秋の虫を犠牲にしている。どうしてよいかわからない大切なことがある。

人工知能

山間を走行中、やぶの中にオレンジ色を見つけてブレーキを踏んだ。思った通りカラスウリだった。若いころには見えなかったものが見えるから加齢も悪くない。


将棋や囲碁。名人と人工知能が勝負をする。その人工知能を駆使して自動運転の車を開発する競争がはじまっていることを、1時間番組でNHKが取りあげた。

目的地を車に指示すれば、それがどこであろうとコンピューターがあらゆる状況判断をしながらハンドリングをする。オーナーは寝ていても問題ない。この人工知能開発には、あらゆる角度を確認できる多くのカメラが車体にたくさん取りつけられ、周囲の車や自転車に歩行者などの動きを予測する知能が、車の操縦をする機能に連動する。自動車業界はこの開発に命運をかけている。

予断になるが、人が目視するバックミラーの製造企業はまちがいなく注文がなくなる。

ソフトはグーグルが先行し、ハードはヨーロッパが先頭を走る。自動車業界は製造面では多様な下請け会社を従えるビラミッド。もし日本車が「2位ではダメなんですか!」当然、国内には失業者が増えるからダメなんです。


そんなことよりも、きょうわたしが配達で走った200キロ。あらゆる判断をしながら身体を使い、ラジオを聞きながら電話やメールを受けた。運転に感情も反映している。

人の身体はすばらしい。

鰐鳴八幡宮参拝

山口市小鯖に鰐鳴(わになき)八幡宮がある。苔むした境内のたたずまいが好きで、近くに用があれば参拝している。参道の彼岸花2万本が見頃と知り傘をさして参拝した。


画家・諏訪 敦 「満州難民を描く」。昨夜Eテレ番組。

朝、1時間みた。昭和20年4月に敦の祖母は、敦の父親(当時8歳)と5歳の次男を連れて、家族で満蒙開拓団として国策として満州に赴いた。その時期、ソ連が侵攻してきたら陸軍は南に撤退する計画が決定されていた。


ハルピンまで250キロ徒歩の逃避行。ハルピン難民収用所で祖母31歳と次男は死亡。チフスと飢餓。その祖母がいたから敦の現在がある。収用所で祖母や敦の父親を知る90歳の老人にあうことが叶い、さらに老人とハルピンを訪れ祖母を埋葬した場所なども見た。飢餓の様子を取材し、チフスについての知識を医師から学び描きはじめた。


最初は美しい女性が黒髪で全裸で倒れている場面を克明に描きあげた。そこからモデルを餓死させ疫病に蝕まれた身体。女性とわからぬようハサミで断髪した頭を、取材どおりに描く。餓死した表情は頭蓋骨標本を片手に皮が骨にはりついたものになった。鬼気迫る作品のなかに、よく観ると妊娠線がある。


今週、再放送がEテレであります。

ハンマーナイフ 今年も活躍

少々の高さの雑草は楽に粉砕するハンマーナイフ。ゴム キャタピラーだから傾斜地も滑らない。なかで何枚もの刃が高速回転する。


萩市から美祢市の土曜日コースを走り、簡単に昼食を済ませて3時間ハンマーナイフで手ごわい雑草に挑んだ。今年の使い終りにするので、高圧水で細部まで汚れを落とした。明日、注油ヵ所に油を入れてビニールシートでおおう。


わたしの配達愛車はダイハツのワンボックス。来年1月で、新車から4年になる。走行距離は、きょうで22万キロをこえた。調子も燃費も問題なく走る。

岡 潔・小林秀雄 対話録

夜明けまえからゴミ焼却と台風対策をはじめた。6時ごろから9時まで草刈り。ほんとうは来月中頃まで放置して刈れば、今年の草刈り千秋楽になるが、約1ヶ月放置する辛抱はできない。

9時まで汗をかいて朝食。犬の散歩。歩いていると化学肥料のビニール袋が近所の畑側に捨てられいた。誰が見ても不快に思うから農園に持ち帰った。


下着も全部持って、作業服のまま持世寺温泉。ぬるいお湯をしっかり楽しみ、そばの豆腐工房であたたかい木綿豆腐2丁と無料の卯の花ふた袋をいただいた。


10分走れば今村さんのお宅。ご夫妻在宅で庭にテーブルを広げて歓談。ご主人が 借り物ですが読んでくださいは、昭和42年7刷の 岡 潔・小林秀雄対話録「人間の建設」春宵十話の書評をした小林秀雄に岡潔が会ってみたいと誘い、小林明秀雄が足を運び対談した記録。新潮社 200円。


30ページまで音読したが理解は困難。けれども個性を大切にする考えなど断片的に理解はできた。この調子でよいから170ページまで読みすすんでみたい。


ジュンとネネのネネさんコンサートを、近くのお寺で催すらしく奥さまは鼻息あらい。その日は釈徹宗先生の数楽とバッティング。ネネさんが百人一首を歌うそうだ。わたしは数楽の会。

お月見団子と大吟醸

どに行くのか亀が田舎道を一生懸命歩いていた。わたしはいつも亀レスキューになる。この亀さんもビニール袋に入れて運び、近くの橋から川に落とした。そのうち竜宮城からお迎えがくる。


きのう川土手の草刈りをした。思い出すことがある。

農園をはじめたとき川土手の草刈りをした。春だった。きれいになった土手を眺めて一服していたら、対岸の家から婆ちゃんが橋を渡って来た。

婆ちゃんは縁側から、土手に咲く色とりどりの雑草が咲かせた小さい花を長年愛でていたらしい「今年も元気に春をむかえた」と。来年は、花が咲き終えてから草刈りしてくれんかと頼まれた。

園芸店の店頭に並ばなくても、自然のままに咲く雑草とよばれる花に季節を感じる心にふれた。婆ちゃんはもういないが春の草刈りは咲き終えてにしている。


数楽の会。次回は11月13日で講師は如来寺住職 釈 徹宗師。楽しみにしている。ご著書 死んでは終らない物語について書こうと思う(文藝春秋)を読んでウォーミングアップしておきたい。


母にお月見団子と大吟醸を買ってきた。


◆予告 明日のホーム画面は美女二人が登場します


メインは草刈り4時間

正志が配達してくれる水曜日。朝寝して温泉に行き、昼にビールを飲んで昼寝の大名コースを考えたが、やらねばならないコースに決めた。


イノシシが餌を求めて農園内を掘り返している。石も地表に出ているので早く整地しておかないと草が伸びたら、草刈機が使えない。スコップは体力的に無理だから小型ユンボの出番。正式に操作を習っていないが200時間ちかく使っているので上手になった。


次は、川土手の草刈り。釣り人が捨てた缶やペットボトルなどを拾いながら4時間できれいになった。


6時から働き、お昼までしっかり汗をかいた。


午後から、農園隣接地の取得について関係者をたずねた。


歳のせいと思う。夕方には疲れが限界になる。

空がすっかり秋になった

今朝9時。山口市内の風景を撮った。あれだけ騒々しいセミの音がきえて神々しいぐらいに秋の空がひろがった。


フェイスブックは覗き見している。あまりに情報量が多くタジタジしているのと いいね シェア にコメントなどのアクションがわからないことも覗き見の理由。

数楽の藤野先生が、フランスで活躍の安田登先生をフェイスブックにアップされた。


11日の数楽の会で藤野先生は 命におわりは無い。そういう話しもされた。確かに宗祖・教祖はカタチがなくなっても、むしろカタチを失ってから人びとに語りかける。

その命のいただきかたを、数楽の会であらためて学ぶことができた。もっとハッキリ言えば、命を繋ぐか絶えさせるかは今を生きるわたしの生き方。岡潔を読み論じるとき、岡潔は生きている。


フェイスブックはよく理解していないが、藤野先生のアップに簡単なコメントを添えた。正直な気持ちとして。

雨具を着込んで月曜日

きのう数楽の会。会場の朴の森入り口に「平凡なことを非凡に努める」の置物を見つけた。鍵山語録に間違いない。同じく鍵山語録に「凡事徹底」の四文字熟語は有名。

勉強せいと言わなかった母が、いつも言うたのは「大きな声で挨拶せい」おかげで挨拶でほめられたことがたくさんある。相手より先に元気よくは身に付いている。


稲刈りシーズン。けれども、昨年購入したコンバインの操作を忘れたじいちゃんが納屋に座り込んでいた。適当に運転したら危ないと言うと、首をタテにふり「ヤンマーを呼ぼう」となった。


このホームページを読んでいる真砂恵さん家族が岩国観光に行ったと写メール。160種類のアイスクリームやロシアの犬も見たようだった。


ホームページは佳子ちゃん友人の重枝さんにお世話になりながら更新している。きのうフリック入力を「便利だから」と提案され使っている。まったく今は便利とは思わないが。


うきうき日曜日

松村御大の油絵作品をご自宅に撮りに行く日になった。約束は9時。その前に関門トンネル人道を歩いてみる計画を昨夜立てた。

人道を歩くのは数十年ぶり。7時半のトンネルはウォーキングの人がたくさん。門司まで片道700メートルを、姿勢よく両手をふって汗をかきながら何度も往復している常連さん。天候や日焼けを気にしないで歩ける。写真は、門司側から下関を撮った。


御大宅ではご夫妻に歓待していただき力作をカメラロールに収めた。時期をみてホーム画面で紹介します。


午後2時から朴の森を会場に 数楽の会。数学者 岡潔 を藤野先生が平易に解説。わたしが、いつも面白く感じることは受講者は自己紹介の場面がないから他人の関係。ではなく、学んでいるという横糸を感じる。赤ちゃんが泣いても誰も平気。赤ちゃんからすれば年齢差は70歳以上ある。画廊の主に僧侶。藤野先生教え子に元 大学野球監督に浪花の大将など多彩な顔ぶれが藤野節を聴く。


命はなくならない。例えば樹木は倒れて腐ったら、それを栄養に育つ命がある。人もカタチはなくなっても残るものがある。


尊敬する先生に弟子が、庭の松が枯れよります。と言うたら、心配せんでええ小さい芽が出ておるじゃろうが。

あの問答をおもいだした。

大活躍の土曜日

長府毛利邸に近い屋敷の土塀。庭の植木を伐らずに土塀を工夫された家主の優しさがうかがえた。


萩市のウォーキングは碁盤の目だから道に迷う心配はない。今朝は6時半に藍場川近くに車を置いて、川沿の家々にかかる石橋や洗濯場を楽しみながら直線で歩いた。驚いたことはカワセミ(漢字は翡翠)が宝石のブルーの背中を自慢するように川面を滑空していたこと。

朝7時には、そこらじゅうのお寺から鐘の音が鳴り響く。鐘の合図でUターンして1時間ウォーキングを終えた。萩は歩けばたくさんの歴史に巡り会う。藍場川近くに、幕府が長州に攻めいるとき、長州全域に檄文30数万枚を印刷した場所があった。四境の戦い勝利はマスメディアが支えていたことを知った。


長門市から美祢市の配達を終えて農園に戻り、下関市長府からのスポット注文200個をお届けした。日頃はお会いできない乃木さん通り ブッティクのマダムにご挨拶。一昨年に亡くなられたご主人(享年83歳) の思いで話しにもらい泣きした。◆またの機会で。


霜降山温泉に立ち寄り、疲れを洗い流して戻った。

牧さんと歓談

いつも突然の訪問。きのう、わたしが戻る2時間ぐらい前に来園。近くの温泉に出掛けたことを家内から聞いた。すでにサンマご飯にサンマ料理などを作りはじめていた。

鹿児島県内限定販売の芋焼酎「流川(るかわ)」を下げて一宿の客人になった。


わたしが知る範囲は、1南インド・スリランカ。2チェコ・ポーランドなど。3台湾。この最近3回海外を歩いている。その話を聞きたかった。


家内の料理を全部食べてくれ、酒もお互いよく飲んだ。話のなかで国立博物館アウシュヴィツ。到着するとボランティアが整理券を配り彼は3時間半待ち。混雑しているのではなく、ゆっくり内容をみてほしい意図で制限している。観光地ではないから入場は無料。日本語版24ページのガイド冊子を手に彼は3時間見た。もっと見るべきところがあったが苦しくなった。撮影禁止ではないが、あまりの重圧に撮る人はみかけなかった。


彼の旅はすべてレンタカーを運転。それならではの貴重な体験談を聞いた。


来月、宮崎県で土木1級国家試験を受験するので、これから宮崎まで帰ります。


彼の残した旅の本を読んでいたらアラブのことわざがあった。


長生きするものは、多くを知る。旅をしたものは、それ以上を知る。

牧さん 来園

きのう早朝から約2時間草刈りをした。乾燥していた時期は草は硬く切れにくい。台風接近などで雨が降り草刈りがやりやすくなった。

着替えて小倉に向かった。小倉にはタマゴ専門店がある。たまには販売方法やお菓子の加工などを学びに行こうと思い立った。10時の開店まで少し時間があったので門司港レトロ地域を歩いた。対岸の下関を眺めながら潮の香りが楽しめた。


今回は往復、20数年ぶりに関門トンネルを利用した。前の会社を創業した当時は有料道路を走る経費はないから、関門トンネルを抜けて大分県方面なら10号線、佐賀や長崎に福岡なら3号線。帰りもトンネルだった。

創業当時の気持ちを忘れないため、以後も片道はトンネルを利用した。わたしを鍛えてくれた関門トンネルが懐かしかった。


さきほど、木曜日の配達を終えて農園に戻ったら、家内が「牧さんが来られ、いま温泉に行っている 」

今夜はヨーロッパを聞かせてもらえる。

浪花の一週間を終えて

103寸ふく刺大皿。3~4人前。


寿司・割烹 浪花の店主。荒川健一さんとは 掃除に学ぶ会がご縁。農園をはじめた当初からお店のタマゴをご注文いただいている。


ふくの取り扱い量日本一の下関南風泊市場。市内には、ふく料理専門店の看板がたくさんあるなかで、数年前 NHKテレビ新日本風土記「 ふく 」で浪花が舞台になった。

そのお店の紹介を、料理を撮らずにしてみたいと店主にお願いした。わたしの勉強のために。


1週間を終えて、みなさまに浪花がお伝えできたかどうかわからないが、わたしには勉強になった。

開店前のお忙しい時間に取材にうかがい、快く応じていただき店主とお店のみなさんに御礼申し上げます。


◆きょうのブログアップでトラブルがあり、きのうの内容が削除されました。

平穏に台風通過

きのう岩国市吉香公園のソフトクリーム。なんと160種類からお気に入りを選べるお店だとか。


農園近くにはナシやブドウ農家がある。1年育て上げて収穫の時期に台風到来。農園でおきる心配以上に果樹農家の不安は深刻だったと思う。

幸い台風勢力が急速に衰え、進路のみなさん喜ばれたことでしょう。地震・豪雨・津波など自然災害が世界的に多発するなかで生きていく困難を痛切に感じた。


尊敬する金光教の先生が岡山県におられる。京都の長女の娘( 小2 ) が先日のキャンプでナタで手を切り5針縫う怪我をした。その連絡を長女から受けたあと、わたしは母に頼んだ( 祈った) 怪我をしたことはしかたがない、けれども傷がはやく治り傷痕が残らないように。その後から神様に同じことを祈った。

電話で先生に、その出来を話したら。それでええ、一番ええ頼みかたじゃと言われた。


2日前、長女からきれいに治りましたから安心してくださいと連絡があった。母に頼むと安心。

食の安全・安心 いまさらながら

岩国市吉香公園で大型犬。ロシアのお金持ちがオオカミ狩りを楽しむ目的でつくった犬種と教えていただいた。犬種名を聞き忘れ、佳子犬博士に問合せメールをした。ボルゾイと鑑定結果が返った。


松村御大のお声かけをいただき、シンフォニア岩国で開催の「 科学的有機農業講演会 」を受講した。

なかでも、立命館大学教授 久保 幹先生が話された、土壌微生物はガッテン!した。

農作物は 窒素・リン酸・カリウム と授業で習った。ホームセンターの肥料袋にはそれが明示されている。その化学肥料こそが環境や人体によくない説明だった。つまり、地産地消・生産者の顔がみえる・朝採り などの標語と食の安全・安心はまったく別物。日本の農産物の安全性は、世界で最悪レベルと事例をあげて話された。微生物と共存する日本をつくりたいと結ばれた。


東京オリンピックの安全は、テロと食品が最懸案らしい。そこに松村御大は取り組まれていることが、きょうの岩国行きで理解できた。


会場入り口で女性から声をかけられた。シンフォニア岩国の職員で、10年ぐらい前には山口県臨時職員だったTさん。ご縁は忘れたが農園宴会に来られたことを思い出した。

嵐の前の静けさか

朝、5時40分だった。作業場で配達の準備をしていたら窓ガラスが赤く染まりだした。4時すぎに露天の焼却場で鶏噴受けの新聞紙をたくさん燃やした。その火がどこかに広がったのかと思い外に飛び出した。東の空が真っ赤な朝焼けだった。

農園の仕事をするまで、朝夕の空に感動することはなかった。朝焼けショーは、わずか5分で幕がおりたが、犬としっかり楽しんだ。


萩市・長年から美祢市は、民放FM局が同一周波数帯で聴けるように最近なった。対してNHK局はいくつかの周波数にわけられて、地域を移動する度に周波数を変えて聴かなければならないから不便。土曜日はNHKラジオ文芸館 耳で聴く短編小説が聴きづらい。


今月からNHKネットラジオ らじる・らじる ( 無料アプリ ) が更新され内容がよくなった。そのひとつは、過去の放送を簡単な操作で再放送できる機能。

水曜日、朝の歴史家 加来耕三さん。ゆかいな裏歴史 は面白いが聴きのがすことがあり便利。

もちろん、ネットラジオだからチャンネル操作は不要。これから土曜日は らじる・らじる。


台風のコースが、農園の上、つまり風の強い右側予報になった。午後から農園内の対策をする正志の手伝い。

台風接近中

宮崎県日南市から山奥に飫肥杉の生産地がある。城下町飫肥は、電線など地下埋設にして電柱がなく景観がよい。飫肥城の見るべきところは、隙間なくピッシリと積まれた石垣ではないかと思う。食べるべきものは飫肥天と玉子厚焼き。


接近中の台風。いつもは対策を陣頭指揮してきたが正志に任せている。強さと進路を見きわめてやるべき対策はたくさんある。一番は7トンと2トンの餌タンクが倒れない対策。

フィリピンあたりから接近すると、タンクを餌で満杯にして風をしのぐが、今回は発生から接近まで短時間になり餌の補充が無理となった。7トンは約半分。2トンは空。どちらも台風には危険な状態。4本の太い鉄パイプにホームセンターで鉄パイプを買い、ジョイントさせて500リットル水タンクか置けるようにして、水の重さで安定させるヒントは正志に話した。


今朝は5時半から9時半まで草刈り。小郡に散髪に行き、持世寺温泉。隣の豆腐工房で揚げたての豆腐を買い、昼には農園に戻れた。

帳 か 帖 か

美祢市の山奥を走っていると真っ赤な色があった。自然はこんなに美しい赤をつくる。


寿司・割烹 浪花さんのお店を、わたし流にあらわしたいと荒川店主にお願いして快諾をいただいた。きょうから一週間ちかくホーム画面の短文で、みなさまに浪花をご紹介する取り組みをします。


来店された著名な方の一筆が揮毫帖に残されて、拝見したとき正直驚いた。

きょうは道場六三郎さんの一筆。朝4時前から悩んだのは、揮毫帳か揮毫帖か、サイコロではないが帳と帖の選択に時間を費やした。無難に「 帳 」でGO!

浪花さん納品のとき大将に帳か帖かを聞いたら帖と返事をされた。すぐに車内でホーム画面の文字訂正してアップ。


その顛末を美祢の よしの 店主に話題にして農園に戻ったら店主からメール。帳よりも帖のほうが格上。揮毫帖で浪花は正解!


この歳になっても、親切に教えてくださる仲間に恵まれて嬉しい。